【連帯・社会像】

内藤正則:涙なくして聞けない原発被害者集団訴訟

11月9日、「原発被害者集団訴訟第2陣」第11回口頭弁論が千葉地裁で開かれた。原告(被災者)の陳述が10時から14時30分時まで、長時間の傍聴となった。悲惨な陳述が続き、涙なくして聞けない話ばかりだった。

 
ー親戚等を頼り避難したが子供(小中学生が多い)が避難先になじめず学校に行けなくなったり、子供の為にと福島に一時帰宅したところ「あんたは福島から逃げたんや!」と罵られさらに症状が悪化した。
 
ー避難先の学校の仲間と喧嘩したら「お前は福島から来たんだろ。福島へ帰れ!」と言われ悲しむ子供。ある家族の子供は避難しての家族の苦しさに対し「父さんが悪いからだ」と言って未だに父親と一切話をしない状況もある。避難して収入は減り、妻は精神病で治療中、主人も精神不安定になる等等悲惨な状況も証言された。
 
さらに驚いた話は、
ー福島市渡利地区は人口も多く公務員が多いので、公務員は避難しないよう指示が出たが、皆、自分だけ残り家族は避難させた。また市が各住宅の放射線量を測定するが「玄関先の水洗いした箇所の60㎝上の空間」に限り測定し、高い放射線の地点は頼んでも測定しなかった。
 
こんな測定は無い。
 
「放射線から子供を守る為逃げ続け、避難に同意しない主人と離婚、子供は不登校になり、私は病気になり仕事の出来ない体になった。全ての生活が奪われた。生活の不安から急に苦しくなり、動悸が激しく立てなくめまいも出る症状になる。今年3月で住宅保障打ち切り、私の傷病手当ては10月で打ち切り。友人も親戚との関係も失い明日からの生活の不安が大きい。収入も無いこんな状態で放射能の汚染の袋がある故郷に戻れない。子供が立派に成人するまで頑張る」。裁判所はこのことを判って下さいと、涙ながらに訴えた。
 
ー原発事故の翌年に南相馬市の広報では小学校の運動会の写真を載せて復興をアピールしたが、日常の実際は、通学はマスク着用し車で校門まで送迎していたし、体育は室内体育館でやっていた。
 
避難した人と避難しなかった人と摩擦があるのは残念です。国民が知るべきこんな状況を放置する自公政権やマスコミは情けない!と、私は強く思った。

〈弁護団による傍聴者への説明〉

 
千葉原発集団訴訟の滝沢弁護団長の言葉~原発事故は恐怖と破壊をもたらした。歴史の文化も住まいも健康も奪った。この裁判では帰りたくても帰れない実情を訴えた。狭い日本で住めないところが出来たことに政府と東京電力は責任を持って補償するよう追求していく。
次回審問は来年1月18日です。
 

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