11月25日早稲田大学において、戦争と軍隊を考えるシンポジウムが開かれました。出席者はアメリカVFPのマイク・ヘンリーさん、VFPジャパンの形川健一さん、不戦兵士・市民の会の谷口末廣さん・高野邦夫さん、司会はVFPアドバイザーでジャーナリストの大矢英代さん。出席者の方々がそれぞれの体験を語り、軍隊とは戦争とは何かを根源まで深める会でした。
・VFP―Veterans For Peace、平和を求める元軍人の会。1985年米国で、従軍経験のある元軍人(ベテランズ)と軍人の家族、およびその賛同者により結成された国際的な平和団体(国連NGO.メンバーは約8000人・120支部)。オリバー・ストーン氏、オノ・ヨーコ氏もメンバー。
・VFPJAPAN─VFPジャパン。2017年6月、元自衛官を中心にして立ち上げた団体。
・不戦兵士・市民の会―戦場体験者が「戦争だけは二度としてはならない」と、1988年1月に創立した「不戦兵士の会」が、戦場・戦争を語り継ぐ活動が重要と考え1999年2月「不戦兵士・市民の会」に改称。
・不戦兵士・市民の会―戦場体験者が「戦争だけは二度としてはならない」と、1988年1月に創立した「不戦兵士の会」が、戦場・戦争を語り継ぐ活動が重要と考え1999年2月「不戦兵士・市民の会」に改称。
発言から
マイク・ヘンリー氏―元米国海兵隊員。イラク・アフガンに派遣される。10年前に除隊。
戦争を語ることに10年かかった。18歳の青年がどう兵士になっていくのか。洗脳教育で、上官の命令で人を殺せる人間になる。一人称は使えない。食堂に行くときも一列になり「一撃一殺」と復唱しながら行進していく。帰国して、街中での車の運転ができない。現地の建物に似ている建物には近づけない。子供の叫び声に耐えられない。7月4日の独立記日の花火の音に耐えられない。高校に軍隊のリクルーターが来て勧誘する。沖縄に駐留したが、「沖縄戦」については一方的な情報しか与えられない。なぜ駐留しているかは、日本を守るためだと教えられた。ノーベル平和賞を貰ったオバマはドローン兵器で物凄い数の人間を殺した。
形川健一氏―元海上自衛隊自衛官三佐(少佐)。VFPジャパン副代表。高校卒業後27年間務めて退職。今広島の三好で自給自足の生活を目指している。ジブチ共和国に第9次隊として派遣された経験を持つ。
安倍政権は自衛隊を軍隊に変えれば自由にできると思っている。陸自普通科連隊(歩兵)は常にシャベルを研いでいる、訓練で穴を掘らされる。自分の蛸壺だ。掘ったらまた埋める。下士官以下は小銃の、士官は拳銃の訓練をする。災害派遣はやりがいを感じる。個人の意見として、自衛隊は国際救助隊になればいいのではないのかと思う。今の日本の青年に戦争や自衛隊のことを聞くと「わからない」と答える。考えない教育をされているのではないか。
谷口末廣氏―元日本兵、階級軍曹。1920年生まれ。現鳥取大農学部を卒業後農水省に就職。徴兵され1942年1月から1944年5月まで旧満州国・桂希斬(チャムス)に輜重10連隊に所属し駐屯。
1944年5月からフイリピン・ミンダナオバレンシャ飛行場に派遣され米軍の攻撃により山岳ジャングルに敗走・彷徨。ジャングルを彷徨中友軍に会い、肉を分けてくれる。「なんの肉か」と聞くがにやにやして言わない。しばらく歩いて川に行くと足の肉がそがれた日本兵の死体があった。肉をくれた兵隊の笑い声が聞こえた。終戦知ったのは米軍の飛行機からまかれた伝単、白旗を掲げた友軍に会いソ連の参戦、日本は負けたのだと知らされる。9月末に投降し1946年12月までレイテ・ルソン島で労役に服し、12月末復員する。私が老体に鞭打ち戦場体験を語るのは、憲法9条が年とともに形骸化を深め、今のうちに原点に引き戻さなければ、大変なことになってしまうと思うからだ。
*自衛隊は全国の高校にカレンダーを配布している。以前は災害援助の写真だったが、安保法(戦争法)が成立してからは陸海空の戦闘訓練の写真になっている。
米軍で実戦経験をした人の多くが、除隊後、日常生活に戻れなくて苦しんでいると聞いていますが、マイク・へンリーさんの話は、そのことが事実だと知らされました。日本の自衛隊が70年間外国に出かけて殺し殺されせずに来たことは幸せなことであるし、これからも続けていくべきことだと強く感じています。
今日も九条の会で駅宣をやり、九条第三項として自衛隊を書き込むことの危険を訴え、改憲反対の署名を呼び掛けてきましたが、反応の薄さに疲れていました。改めてまた、改憲反対の運動を続けていかなければならないと思います。
九条の精神は、日本だけでなく世界に広める必要を感じています。