岩礁破砕許可が切れているのに、違法工事を積み重ねて沖縄県民をあきらめさせようとしている安倍政権。それに対し、非暴力の座り込みなどで対抗する沖縄県民ら。辺野古新基地建設反対闘争は、重大な局面を迎えつつある。沖縄と連帯して闘うのは今だ。
沖縄ではいま、「活断層」が話題だ。11月はじめ、米軍キャンプ・シュワブゲート前で座り込む市民たちに、琉球大学の加藤祐三名誉教授(理学博士)が話をした。安倍政権が埋め立て工事を強行している辺野古新基地の予定海域に「活断層」が存在する可能性があるという内容だ。
活断層の上に基地を造るのか
活断層は過去に地震を起こした形跡があり、将来も地震を起こす可能性がある断層、とされている。原発の場合は、活断層の上に関連施設をつくることは許されない。
新基地予定地に近い辺野古と二見の方から延びているる2つの断層が辺野古崎沖でぶつかるところに、水深50メートル以上の落ち込みがある。それらのことを詳しく解説して、「活断層の可能性は高い」と加藤名誉教授は強調した。
活断層の上に作られた基地はひとたまりもない。辺野古新基地には「弾薬装填エリア」が造られ、辺野古弾薬庫が隣接している。核持ち込みの恐れもあり、危険きわまりない。加藤名誉教授は政府が活断層を否定するなら「生データを開示して証拠を示すべきだ」と訴えた。
この問題は、仲井眞県政の時に防衛省が提出した「環境影響評価書」では、ただの「断層による落ち込み」と指摘されていたに過ぎない。「環境影響評価書」は「活断層」を巧妙に避けた形だ。
しかし、早くにこの問題を指摘していた人物がいた。古川博恭元琉球大学教授は沖縄タイムス2013年11月13日付けの「論壇」で、「辺野古案 直下に活断層」と指摘している。防衛省の「環境影響評価書」に対する批判だ。
古川氏は「私はこの地域の約40年以上にわたる地質・地下水・活断層等の研究から、この辺野古案には、大きな問題点が内蔵されていると考えている」と前置きして以下のように主張している。
「辺野古埋め立て地予定地点の直下を走る活断層の存在。この活断層は、今、原発地点をはじめとして、全国的に地震災害の起因として問題になっている」「この活断層の評価はこれまでの環境影響評価書では一切触れられていない」「これらの疑問を十分調査・検討・評価なしにこの辺野古案の実行は可能であろうか」
安倍政権はデータを示して県民・国民の疑問に答える責務がある。
もともとこのあたりの海底は、砂れきや”骨粗鬆症”と形容される琉球石灰岩などで形成されているきわめて脆弱な地盤として知られている。仮に、活断層ではないとしても、この地盤の上に、基地を造るのは極めて危険なのだ。
設計変更は避けられない
11月11日、那覇市おもろまちで、「辺野古・大浦湾の海底の問題点と今後の闘い」をテーマに、学習会が開かれた。新基地建設の技術的な問題に詳しい土木技師の奥間政則さんが講師をつとめた。話の中心は「ケーソン護岸の基礎構造と直下にある活断層の問題」だった。
「真っ先に造らなくてはいけない海上作業ヤードを中止した意味は大きい」と、奥間さんは言った。海上作業ヤードは、埋め立て用の大型ケーソン(高さ24メートル、幅22メートル、長さ50メートルの巨大なコンクリート製の箱)の仮置き場として使わる予定だった。それが、中止になっていたのだ。中止は直下の地盤の問題につながる。
2月6日から4月19日まで政府が雇った大型調査船ポセイドンが埋め立て海域の調査をして回った。ポセイドンの航跡を追跡調査した結果、非常に興味深いことが分かった。政府が公表している場所とは全く違う場所を調査していて、それがケーソン護岸の周辺に集中していることがわかった。やはり、地盤に問題があるのだ。地元紙などが大きく取り上げたことで来年には地質の専門家を集めてシンポジウムを開く動きも出てきた。
政府は調査結果の公表を拒んだまま、糸数慶子参院議員の質問主意書への答弁書(11月24日)で、活断層の存在を否定した。どこまでもでたらめな安倍政権だ。
奥間さんはこう力説した。「軟弱な地盤の埋め立て海域に、巨大なケーソンを設置するのは危険で無謀だ。基礎構造の設計変更は避けられない。設計変更は県と協議し、知事の承認を得なければならなくなる。翁長知事が権限を行使して、拒否したら工事は終わりになる。だから、いま工事はやりやすいところからやっている。工事が進んでいるように見せ、県民にあきらめさせようとしているのだ。そもそもケーソン護岸の直下に活断層があるとなれば辺野古の工事は確実に終わりだ!」
大浦湾を埋め立てるには、美謝川の水路の変更なしにはできない。その権限を稲嶺進名護市長は行使する構えだ。安倍首相は、名護市長も沖縄県知事も取り換えないと、新基地を造れないことを知っている。来年2月の名護市長選、その後の沖縄県知事選は負けるわけにはいかない。
正すべきは正す
山内徳信共同代表ら「核兵器から命を守る沖縄県民共闘会議」が11月下旬、辺野古新基地建設に使われる国頭村奥港の使用許可取り消し・埋立承認の撤回を求める要請を、翁長雄志知事宛てに出した。これより早く、県が奥港の使用を許可したことに対して山城博治・基地の県内移設に反対する県民会議共同代表は厳しく批判した。奥区民や新基地建設反対闘争に取り組む人々から批判が沸き起こった。船による石材運搬は、ゲート前の座り込みによる工事の遅れを取り戻したい、安倍政権の焦りとみられている。翁長知事も結局、「港湾使用許可の取消しを含め重大な決意で臨む」と表明したが、許可したことは沖縄県の大失態であった。
辺野古新基地建設反対闘争に取り組む人々からは、次のような批判を聞いた。「県のやり方は疑問、民意で跳ね返さないと」、「知事は法廷闘争至上主義に陥ってはいないか。新基地建設反対は県民の闘いだ。法廷闘争はその1部だ」、「知事に対する批判はタブーのようになっているが、正すべきは正さないと。建設的な批判があってこそ、反対闘争は強化される」。
社民党、共産党、社大党などにも厳しい批判がある。「業者が許可申請を出してから何カ月もの間、知らなかったというのか。県政与党は何をやっているんだ」「与党は知事に下駄をあずけている。丸投げだ」
撤回問題も正念場を迎えつつある。仲井眞前知事の承認撤回は、翁長知事の究極の1手。だが、撤回で工事を止めることができるのも「半年程度」とみられている。さらに、工事が埋め立て段階まで進むと、撤回の効力がなくなるかもしれないと指摘する行政法の専門家もいる。
沖縄県民の不屈の闘い
辺野古の浜のテント村を訪れた人は記憶にあると思う。入り口の看板に「闘争開始より8年(2639日)の命を守る会の闘い」と書かれていることを。それがテント村の座り込みに引き継がれ、そしていまゲート前の座り込みに受け継がれている。
はじめは辺野古の住民数人の座り込みから始まった。そして20年。嘉陽のおじぃら先人は亡くなったが、闘いの輪は大きく広がった。辺野古・沖縄は安倍政権を相手に不屈の闘いを続けている。翁長知事も、知事与党の県議たちも、この闘いの中から誕生した。逆ではない。
現場と与党県議、知事は一体となって闘おう。「本土」のわれわれも、自分の問題として取り組もう。沖縄と連帯して闘うのは今だ。
私が高江や辺野古の挨拶で翁長知事批判めいた正論?をスピーチすると、こそこそと「分断策動だ!」と触れ回る輩がいた。熱烈な翁長崇拝の「革新」政党党派の連中がい今もいる。
丁寧な報告ありがとうございます。私はオール沖縄那覇の会のバス担当(火曜日)を今年の5月からしています。バスに乗る人は少しずつ増えてはいますが、まだ満杯にはなっていません。不思議なことは他の幹事が一度もバスに乗らないことです。幹事はほとんど議員で政党代表ですが、オール沖縄那覇の会で出しているバスに幹事がまったく関心ないのかとこの頃怒りのマグマが渦巻いています。現場に行ってこその闘いです。星さんの与党議員たちの翁長知事に丸投げ的な指摘は那覇の会でも当たっています。丁寧な組織作りが大きな課題です。辺野古の闘いは全国民の闘いです。工事を止めるまで共に頑張っていきましょう。