金城武政さん(61)は名護市辺野古に生まれ、辺野古で育った。高校卒業後、東京に就職したが、いまは米軍基地キャンプ・シュワブ前の座り込みに参加し、辺野古新基地建設反対の強い思いを貫いている。〈文責・星英雄〉
専門家は、いま政府が強行している護岸工事は見せかけの工事だといいますが、私はもう少し、危機感を抱いています。それに、私は辺野古に暮らす人間として海が汚されていくのを見るだけで、悔しい。私は、ここを人殺しの集落にしたくない。米軍基地と米兵がフレンドリーであるはずがないと思っています。
海を守る、自然を守るというのももちろん大事ですが、辺野古新基地ができるとこれまで以上に人間の命が脅かされるんです。墜落事故の絶えないオスプレイがひっきりなしに飛び交い、F35A戦闘機も発進するようになるでしょう。
辺野古弾薬庫を立て直す計画もあります。新基地に設置される「弾薬装填エリア」と連動していることはまちがいないでしょう。辺野古弾薬庫はただの弾薬庫ではない。これまでも核兵器の持ち込みが取りざたされてきた弾薬庫です。
辺野古新基地を造らせてはだめです。おじぃ、おばぁにいい余生を送ってほしい。子どもたちと日本の将来もかかっていると思います。
先日韓国に行って、現地のみなさんと交流してきました。チェジュ(済州)島はじめ基地を全部見てきましたが、辺野古に新基地を造らせればどうなるか、それが見えたような気がします。
チェジュ島は世界自然遺産でも知られていますが、基地を造るとき、長さ1.2キロメートル、幅250メートルもある巨大な一枚岩を爆破しました。辺野古新基地予定地のすぐそばにある長島、平島も、将来は米軍機の邪魔だということで、一枚岩のように取り除かれるのではないかと不安になりました。
韓国の基地は油を補給するためにパイプラインがひかれているので、土壌が汚染されています。金網で囲うのではなく、立ち入り禁止の立札をかけ、集落の人々を追い出してやっています。
ロッテのゴルフ場がサードミサイル(THAAD)の配備先です。そこの集落は150人、ほとんどが保守系の人たちですが、総出で22時間闘って、8000人の軍隊と機動隊を阻止しました。とはいえ、本体がいつ運び込まれるかわからないので、当番制で毎日泊まり込みで番をしています。これからも闘いです。
チェジュ島も基地はできましたが、原子力潜水艦が入ってくることになっています。基地を造られたからといってそれで終わりではない。何を持ち込まれるかわかったものではないので、次世代のことを考えて闘っています。
沖縄の現状も伝えてきました。沖縄で、男の機動隊員が座り込みをしている女性をゴボウ抜きしていることに、韓国の人たちは驚き、批判していました。韓国では女性に対しては女性警官が対応しています。
安倍首相にも厳しい批判がありました。北朝鮮が核兵器を打ち込むなどと危機をあおっている、選挙にも利用したなどと。日本のことをよく知っています。
一番悲しかったのは、日本が韓国を占領、植民地支配して基地をつくり、そこに米軍基地が造られたことです。
韓国の人はまず沖縄の歴史を知りたがる。韓国の人たちは自分たちの国の歴史に誇りを持っているのだと思います。いろんないい話があって、勉強になりましたね。
私が基地に反対するのは、母が米兵に殺されたことはもちろんですが、それ以前に、中学校や高校のときの先生の話が影響しています。沖縄県や郷土の歴史について、先生が機会あるたびに話をしてくれました。ホロコーストの展示を見せられたこともありました。「二度と戦争はしてはいけない。基地があるのはよくない」という教えが私にしみこんでいます。
米軍基地キャンプ・シュワブは1954年に造られました。私は1956年生まれ。辺野古がベトナムに送られる米兵でにぎわっていた頃は、路上にドル札や硬貨が落ちていました。アメリカ人は金持ちだとは思ったけど、戦場に送り込まれる兵隊がやけになっていことでもあると思います。黒人と白人の取っ組み合いのけんかをみて、人種差別のことも知りました。
軍隊は、普通の人間が人間でなくなるとわかりました。うるま市の若い女性が殺されたのも米軍基地があるからだと思います。
沖縄が日本に復帰したのは1972年、平和の面でも格差の問題でも、本土並みになると期待しましたが、逆方向に進んでいると思います。日本国憲法の下で、人間らしく生きていけるという希望もあったが、その感覚は薄れました。日本政府の沖縄に対する差別は許せません。世界の人たちにたいしても、恥ずべき日本政府の下で日本人としての誇りが持てるかというと、いまは「琉球人として」としか言えないのが率直な気持ちです。
辺野古新基地建設を強行し、反対する人々を暴力的に弾圧する安倍政権のやり方をみていると、本土の政治家は沖縄を見下しているのではないか。かつてアジアを見下して侵略していったのと同じ目線を感じます。
でも、私たちは諦めません。勝つまで闘いつづけるつもりです。