川崎市の臨海部、工場地帯に隣接した地域が私たちの街です。明治以来の富国強兵政策を下支えし、戦争と共に「発展」してきた街であり、関東では有数の在日コリアン集住地域でもあります。
■ヘイトデモが私たちの街にやってきた理由
ヘイトスピーチをまき散らしたデモは、2013年頃から、10回ほど川崎駅前、市役所近辺で繰り返されてきましたが、臨海部の私たちの街を目指すようになったきっかけは、2015年夏にハルモニ(おばあちゃん)たちと取り組んだ「戦争反対 桜本商店街800mデモ」でした。戦争に痛めつけられた体験をもつハルモニたちが呼びかけ、平和な地域社会を願って行進した行為は、日本人なら何も問題にならないのに、ハルモニたちが表現したら「ここは日本だ!いやなら出ていけ!」とヘイトスピーチにさらされるという事実をまず第一に報告したいと思います。
彼らは「川崎浄化デモ」と称して、私たちの街を攻撃しました。ハルモニたちが呼びかけ戦争反対デモを行った通りを「浄化する」という意図をもって、街に来ようとしたのです。
■地域からヘイトスピーチ根絶を闘う!
「わが街へのヘイトデモは絶対に許さない」―私たちの「子どもを守れ!」「ハルモニを守れ!」の呼びかけに応え、短期間での連絡で、デモ当日、たくさんの人が駆けつけてくれました。そして、街への襲撃を体を張って阻止してくれました。
しかし、白昼堂々、大の大人が「殺せ!」「死ね!」と叫ぶ姿は異様であり、コリアンルーツ市民を中心に大きな人権被害がもたらされました。当時は、川崎市に訴えても、ヘイトスピーチを裁くことはできないと公言し、警察官は、ヘイトデモの方を守り、私たちの正当な抗議活動が違法であるかのように、私たちを取り締まりました。
そのことで、コリアンルーツの市民は、二重三重に傷つきました。子どもたちは、街の外に出たときには、緊張を強いられ、通りすがりの大人の厳しい目線に合うたびに不安感を抱きました。高齢者は、「自分はもう老い先短いからいいけど、孫たちは私が韓国人であるためにつらい思いをするのではないか」と、子や孫が生きるこれからの日本の社会に大きな不安感を抱き、落ち込みました。
それでも、コリアンルーツ市民はそうした人権被害を、自分の名前を明らかにして、社会に訴えました。川崎市に、川崎市議会に、そして法務局に人権侵犯被害を訴え、「誰が私たちを守ってくれるのか!」を地域から問い続けました。その声が国会内外でヘイトスピーチ規制に取り組む人たちと繋がり、国会審議に大きなインパクトを与えました。
2016年6月。地域で共に生きる活動を進めてきた私たち社会福祉法人青丘社が、ヘイトスピーチを許さない市民のネットワークの結成を呼び掛けてから半年。国会での法規制「ヘイトスピーチ解消法」が可決成立しました。課題を多く抱えた法律ではあっても、これまで「日本に民族差別はない」としてきた国の方針が180度変わったことの意味は大変に大きいものがあります。
国の法律化を受けて、川崎では、司法、立法、行政、そして市民が「ヘイトスピーチは許されない」立場を明らかにして、議会、行政が「オール川崎」で公的機関の利用制限、インターネット対策、差別を禁止する条例化に向けた動きを歩み始めました。
■川崎での地域活動の営み
川崎では1970年代から、南部集住地域で民族差別をなくす地域活動を市民運動として取り組んできました。その主体となったのは、日本生まれの在日二世の当事者の、特に母親たちでした。日本の学校で「朝鮮人!朝鮮帰れ!」という差別発言にさらされたみじめな少年期を送った日本生まれのコリアンが、今度は子どもを育てる親の立場となるのが70年代。
「わが子にだけは、自分のようにみじめな少年期を送らせたくない。当たり前に朝鮮人として、人間として胸を張って堂々と生きていってほしい」「差別する方が悪いのであって、差別される方が下を向いて歩いてはいけない」こう願う一握りの母親たちの力強い歩みが私たちの地域活動の原点です。
以来「地域で共に」をスローガンに、ていねいに民族差別をなくし、自分らしく生きる地域活動が積み重ねられ、共生の地域社会づくりに確かな手ごたえを感じるようになってきた時期でのヘイトスピーチの襲撃でした。
■ヘイトスピーチに向き合うこと
在日一世のハルモニたちとヘイトスピーチの襲撃について話し合いました。彼女らはみな「なんで今さら帰れ!出て行け!っていうの?帰るところなんてないよ!」と口々に話しました。これまで、ずいぶんつらいことがあっても、地域で一生懸命生きてきたのに、「なんで今、そんなことを言うのか」という戸惑いの想いです。
ヘイトスピーチ問題は国内問題にとどまらず、分断は世界中で進んでいます。多くの社会的少数者が、ヘイトスピーチにさらされています。しかし、日本におけるヘイトスピーチを受ける最も象徴的なのが在日コリアン市民です。かつて日本人であることを強要され、戦後一方的に日本国籍を取り上げられた歴史を飛び越えて「在日特権」と称してヘイトスピーチが行われることは、世界の移民排斥の流れだけでは説明できません。そこには、先の戦争を含めた歴史認識に関わる問題が大きく存在します。
■在日コリアン市民の生活史を川崎市の財産に!
ヘイトスピーチのある時代にあって、日本社会は今まで在日コリアンの生活課題にしっかり向き合ってこなかったことが浮き彫りにされました。100年も地域社会の構成員として生活を積み重ねてきたにもかかわらず、見えない存在でありつづけ、さらに、「予断」と「偏見」を抱きやすく、嘘、デタラメを平気で信じ込む市民の姿があります。だからこそ、差別と戦争の時代を必死に生き抜いてきた在日コリアンの生活史をしっかりとらえ直し、学ぶことで、ヘイトスピーチを根絶する市民意識を醸成する必要があります。
「コリアンルーツ市民の生活史を川崎市の財産に!」―差別と戦争のない地域社会づくりのため、そして、真の多文化共生社会の実現のため、多くの市民との協働で、川崎南部を中心に積み重ねられたコリアンの生活史を日本の地域社会の歴史として再構成、再編纂していく活動が強く求められていると思います。
(社会福祉法人青丘社事務局長)