【コラム 小森陽一「文つぶて」】

小森陽一:万葉から今日へ 言葉の歴史を背負う「人にやさしい東京を」

  「人にやさしい東京を」という、都知事選候補の標語には、実に含蓄があり深い思想が内在しています。日本文学の研究者として、その意味の深さに思いをめぐらせることになりました。

  「やさし」という言葉は、身が細るすなわちやせるという意味の、やす(漢字をあてれば「痩す」)がもとになっています。ですから出発点には、身がやせほそるようにつらくたえがたいという思いがあるわけです。

 これは13年間続いたあまりにもひどい東京都政への、日本語の歴史的な意味からの、根源的な批判だと思いました。たとえば万葉集に「世の中を憂しとやさしと思えども飛びたちかねつ鳥にしあらねば」という歌があります。

 鳥ではないから、どんなに身のやせる思いをしても、東京からは飛び出せないというのは、多くの東京都民の実感だと思います。美濃部亮吉都政となった、私の中学高校時代と比較すれば、1999年から今年までの東京都政は、やさし(恥しく、きまりが悪く、肩身がせまい)すぎたと思うのです。

  この否定的な言葉の意味が転換するのが平安時代。藤原氏の男たちが、自分の娘や姉妹たちを天皇に嫁がせ、次の天皇の母となった娘や姉妹の父や兄として政治の実権を握っていったのが藤原摂関政治の頃。そこで「やさし」は優美で上品で風流だということになる。転じてけなげで殊勝で感心だ、という意味にもなる。

  そして、悪い影響は及ぼさず、おだやかで、おとなしく、温順ですなおで、情がこまやかで、情深いという意味に転じていく。

 「人にやさしい東京を」というメッセージは、確かな言葉の歴史を背負いかつ担っている。それだけ信ずるに値する言葉を、発することの出来る候補者にこそ、票を投ずるべきだと、改めて思います。こうした言葉の歴史をふまえたとき、「やさしさこそ本当の強さ」という一言が、スローガンではなく、思想だと納得できるのです。

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