沖縄大学元学長の新崎盛暉さんの訃報に接して脳裏に浮かんだのは、沖縄民衆に寄せる深い思いだった。戦後の米軍支配、日本復帰後の米軍基地に対する沖縄民衆の抵抗と闘いにたいする深い信頼の念こそ、沖縄現代史家、市民運動家の新崎さんを貫いていた思想だったと思う。
私がはじめて新崎さんにお会いしたのは2015年1月24日のことだった。沖縄に対する構造的差別の根源には日米安保体制がある、日米安保体制は沖縄を犠牲にして初めて成立する、と指摘する新崎さんに直に会って話を伺いたい。その一念だった。
この日のインタビューは、
〈新崎盛暉:沖縄の民衆運動が新しい時代を切り拓く 〉とのタイトルを付して当サイトに掲載した。
前年1月の名護市長選、11月の県知事選、直後の衆院選の結果を踏まえ、沖縄社会でいま何が起きているかを見事に解説してくれた。「オール沖縄」と呼ばれる沖縄の変革の動きも、実は「民衆の闘いこそが沖縄の政治を動かしている」ことだと、よくわかる。〈ご参照いただければ幸いです=2015年2月19日掲載〉
以来、わずか年に1、2回に過ぎないが、沖縄に取材に行くたびに新崎さんのお話に耳を傾けることになった。
「オール沖縄」について、手放しの評価だったわけではない。
翁長知事候補決定の過程で、革新の側はどれだけ深い議論・検討をしたのか。翁長当選後は、県政与党(革新政党)は翁長に丸投げで、県政与党の役割を果たしていない、などなどの苦言をきかされた。
辺野古新基地を止めれば安保は変わると新崎さんは言った。そのために、辺野古新基地建設反対で連帯する運動を「本土」に作り出してほしい、と。私は辺野古新基地建設を止めることができれば、戦後日本史に、太字で黒々と大書される出来事となるだろうと。沖縄と日本が直面している辺野古新基地建設反対の闘いの意味はそういうものだと、意気投合しあったこともあった。もちろん、安倍政権、自民党政権を相手に、容易ならざる道筋であることは承知の上でのことだったが。
時は流れた。オール沖縄は、経済人の脱会で揺らいでいる。経済界も県政与党も、現場で闘う民衆の思いに心を澄ませてほしいと、切に願う。
静かで柔らかい新崎さんの語り口が忘れられない。最後にお宅に伺ったのは、昨年11月のことだった。
合掌。
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