11月の沖縄県知事選は、辺野古新基地建設の帰趨を決めるともいわれる。一方、スーパーや建設業などを擁する沖縄有数の企業体、金秀グループの呉屋守將会長がオール沖縄会議の共同代表を辞任した一件は、保革の協力体制に影を落としてもいる。あらためて呉屋会長に、辺野古新基地建設反対の考えをきいた。〈文責・星英雄〉
──辺野古新基地建設に反対することは沖縄社会の将来像と密接に関わる問題でもあり、沖縄の経済界の人たちが果たす役割は大きいと思います。
呉屋 地政学的には沖縄は東南アジアの中心になりうることからして、東南アジア圏域をにらんだ貿易、観光、国際交流、そういったもので沖縄県は成り立って行くべきものと思っています。
私は沖縄県庁の職員として都市計画課に在籍していた35、6年前、都市計画を学びにシンガポールに留学しました。そこで学んだのは、フィジカルな街づくりもそうですが、沖縄より小さい国が、リー・クアンユー首相(当時)を中心としたルック・イースト政策で日本に追いつき、追い越せと努力していたことです。シンガポールはいまでは1人当たりGDPで日本を凌駕しています。沖縄の将来像を考えるとき、とても参考になると思います。
沖縄にもう少し自由度を与えてほしいと思います。自分たちのことは自分たちで決めるので、地方に権限を与えてもらえればやっていけると思います。ほかの地域も、沖縄がやれるなら自分たちも特徴を生かした地域づくりをしてみようと。それが日本の国づくりに役立っていくのではないでしょうか。
私は会社でも、いろんな人材を抱えた雑木林になろう、といっています。美しい杉並木もいいが、雑木林のようにみんながお互いの良さで、他人の弱点をカバーする。私は「建築屋」ですので、まっすぐでない自然に曲がった材料を柱とか梁に使いながら、味のある建築物に使っていくことが大事だという考えです。多様性を大事にし、総体的にはエコロジー的な体系を組むということです。
米軍基地に反対してどうするんだという声もありますが、翁長知事と一致しているのは辺野古新基地建設反対です。これまでの沖縄の米軍基地については、われわれが無抵抗のなかでかなり強引につくられましたが、この辺野古新基地建設はそうはいきません。沖縄県民が知事選挙やその他の選挙を通じて、反対の意向をはっきり示してきたにも関わらず、安倍政権はそれを無視し、強行しています。
2013年1月に沖縄の総意として安倍首相に手渡した「建白書」は、オスプレイの配備撤回、米軍普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設の断念を求めています。沖縄が普天間基地の即時運用停止、そして辺野古新基地建設を止めるべきだと要求するのは当然なのです。
基地経済への依存度も、目に見えて低下しています。日本復帰直後の15%台から今では5%台に低下しています。一方、基地返還による経済効果も顕著です。那覇新都心の場合、返還前は年間52億円だった直接経済効果が返還後は年間1634億円。32倍もの経済効果が生まれています。
いま辺野古新基地建設に反対しないで、沖縄に過度に集中する米軍基地を認めていいのか。ここで歯止めをかけるべきだというのが私の基地に対するスタンスです。
──呉屋さんらが脱会したことでオール沖縄会議は揺れているとの見方もあります。一方、金秀グループ新入社員の研修会をシュワブゲート前で行ったことは、辺野古新基地建設反対の意志は固いとも。
呉屋 新入社員・役員 総勢312名の研修を辺野古の浜とゲート前で行いました。辺野古新基地建設反対の私の立場は変わりませんが、だからといって辺野古新基地建設反対を強制するための社員研修ではありません。
「ほら、これが現場だよ、見てごらん」と。現場を知ることが何よりも大事だというのが私の考えです。
オール沖縄会議では、私もプライドと責任をもって共同代表を務めてきました。ですから、共同代表を辞することは迷いました。辺野古埋め立て承認の撤回の県民投票について、私は去年の3月に提起しました。もう少しフランクに議論できないかなとも思いました。
市長選挙で勝った南城市、負けた名護市をみて、より具体的な地元の事情や夢にこたえる政策も必要だと感じています。もっと、どぶ板のような、地道な活動も必要です。革新は革新で、保守は保守で分かれて選挙をやってますが、一緒の選挙活動が必要になっているとも思います。
──安倍政権の終わりが取りざたされるようになりました。秋の県知事選は負けるわけにはいかないと思います。どう役割を果たされるのでしょう。
呉屋 4年前、私は翁長知事の選対本部長でした。選対本部長は選挙のプロがやるものだといわれましたが・・・。私はお客さまファーストの考えです。県政の場合は県民ファーストです。翁長知事が第1候補であることは間違いないが、開かれた候補者選びが大事です。そうすれば、県民の間でもっと盛り上がると思います。
辺野古新基地建設を阻止するうえで、知事選挙は決定的に重要です。必ず勝利したい。そのために、私も役割を果たすつもりです。
沖縄が日本に復帰したのは1972年ですが、私が高校生の頃は、沖縄が復帰するとは思いませんでした。大学を卒業した年に復帰しましたが、実現できたのは関係者のみなさまの努力の賜物でした。
復帰は、沖縄の革新県政、返還運動を押さえつけていれば大きな事故につながりかねない。それよりは、返還の中身はこれまでとあまり大差ない状況で返還させる、というものだったと思います。日本国憲法の下への復帰といいながら、日本国憲法そのものも台無しにされているのがいまの状況です。沖縄の目指した復帰とは違うと思います。
1970年の第2次安保闘争のとき、歴史の先生は「西洋の歴史は命をかけ、血を流しながら民主政治をかちとっていったんだよ。君たちにその覚悟はあるか」といいました。辺野古新基地建設反対に通じる問題だと思います。これからも、われわれの人権、民主主義を獲得するために、自分の手で、額に汗して、地道に粘り強く闘っていかないといけない。
民主主義の観点から言えば、地方の自治や住民の意向を無視するのは民主主義の原点にもとる。福島の原発事故もそうですが、地域の人々の声をもっときいて、ああいう負担がなくても生きていけるようにするのが政治の在り方ではないか。
危険なものを押し付けて、その見返りに恩恵を与えるようなやり方はフェアじゃない。そこから日本に誇りを持つ日本人は育っていかないでしょう。
故喜屋武真栄参議院議員は「小指の痛みを、全身の痛みと感じて欲しい」と、名言を残されました。その通りだと思います。
国民の皆さんにお願いしたい。どうか沖縄の痛みは日本の痛みと感じ取ってください。われわれウチナーンチュも、全国の問題をもっと勉強して共通理解にしたいと考えています。
安心しました。呉屋さんの決意は変わらない。もっと裾野を広く、ですね。
「小指の痛みは全身の痛み」は沖縄の「ちむぐりさ」ですね。県知事選挙を必ず勝利しましょう‼️
この記事でもやもやした思いが少しは溶けました。沖縄の置かれた状況とそれに対応する深い意味が理解できたということでしょうか。