【連帯・社会像】

中塚明:体罰問題を日本近代の歴史から考える

 いま、日本で大きな問題になっている学校やスポーツ界での体罰のこと。私にはやはり明治以後の近代日本がつくりだした歴史と深い関係があるように思われます。

  ご承知のように、と言っても、天皇が主権者であった大日本帝国憲法の時代の日本を、ある程度体感的に知っているのは、もう八〇歳前後以上の人たちですから、いまの日本人の大部分は、直接知らないのですが、そこでは、つまり大日本帝国憲法の時代には、「人権」という価値は認められていませんでした。

「死は鴻毛(こうもう)よりも軽(かろ)しと覚悟せよ」

 天皇への絶対忠誠が求められていた社会です。天皇への忠義は「山嶽(さんがく)よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」といわれていたのです。「鴻毛」とは「おおとりの羽毛」のことで、非常に軽いことのたとえに使われる言葉です。

 これは1882(明治15)年、天皇が直接軍人に伝える形で公布された、天皇への忠誠の徳目をかかげた「軍人勅諭(ちょくゆ)」にある言葉です。1945(昭和20)年の敗戦までの日本の男子は、「教育勅語(ちょくご)」と並んでこの「軍人勅諭」を軍隊では暗涌(あんしょう)させられました。小学校でも高学年になれば暗涌させる学校もありました。

 天皇のためには、人の命は鳥の羽毛よりも軽いと覚悟せよ、-そういう人権無視の日本という国の風潮は、天皇の命令で行われたあいつぐ戦争がみじめな敗戦で、行き着くところまで行った(1945年・昭和20年の敗戦)のですから、きれいさっぱりと清算されてよいはずのものでした。しかし、天皇の戦争責任は問われず、天皇の命令で行われた朝鮮や中国に対する侵略戦争や植民地支配の問題も、事実をあきらかにして、きちんと反省されることはありませんでした。こうして日本人は敗戦後も70年近くを過ごしてきたのです。

 こうした歴史認識の下で、「軍人勅諭」は、1948(昭和23)年、国会の決議で失効したものの、軍隊内の人権無視の暴力構造は、敗戦後の日本で、学校や企業で、見えかくれしながら温存されてきたのではありませんか。

 天皇が主権者であった日本の軍隊では、体罰はそれこそ「日常茶飯のこと」でした。しかも、それは軍隊の階級制度のもとで、集中して暴力を受けたのは、はじめて軍隊に入ってきた「星一つ☆の新兵、二等兵」でした。ということは日本の兵隊が「新兵」から「星二つ☆☆の一等兵」、さらに「星三つ☆☆☆の上等兵」 と進級するにつれ、今度は暴力を振るう側に立つ-という構造ができあがっていたのです。

 「軍人勅諭」には、「新任のものは旧任のものに服従しなければならない。下級のものが上官の命令をうけたまわることは、実は直ちに「朕」(チン=天皇が自分をさしていったことば)の命令をうけたまわることと心得よ」と書かれていました。「上級のものは下級のものに対しておごり高ぶったりしてはいけない、親切に、可愛がることを第一と心がけよ」とも書かれていましたが、日常的な暴力は「テンノウへイカへの忠節」をたたきこむあかしとして正当化されて、あやしまれなかったのです。

清算されなかった「兵営体験」

 徴兵制度のもと、近代の日本では男子は、建前としてすべて軍隊に徴集され、兵営生活を体験してきました。そして兵役を終え一般の社会に出てきて、その軍隊の体験は世間一般、学校などにもひろまりました。それをあやしむ世論は大日本帝国憲法の下ではありませんでした。

 敗戦後、野間宏の小説、『真空地帯』などで、軍隊内の暴力構造は告発されました。しかし、この小説の題が「真空地帯」であることに象徴されるように、その暴力構造は、軍隊の内務班(兵営内の日常生活の単位)という、それがあたかも「真空の中」のことがらとみなされ、その軍隊内の暴力構造がひろく日本社会全体とどうかかわっていたのかということまで考察はとどきませんでした。それは作家、野間宏個人の問題ではなく、敗戦にもかかわらず、明治以後の日本の歴史を総点検する力量が日本国民全体に弱かったことのあらわれでもあるといえましょう。

 敗戦後の歴代日本政府は、侵略戦争や植民地支配の歴史の事実をきちんと国民の前に明らかにしてきませんでした。国民の間でも、明治以後の日本人が朝鮮や中国でどんなことをしてきたのか、天皇の責任はもとより、自分たちの父や祖父、曽祖父(そうそふ)の時代にまでさかのぼってその実態を明らかにしようとする空気はきわめて希薄でした。その日本では、軍隊内の暴力、非人間的なふるまいも、徹底的に批判されることがないままに、敗戦後も学校や企業にもちこまれ続けてきたのではないでしょうか。学校での「体育会系」のクラブでは、「勝利主義」+「上級生と下級生の関係」で(ちょうど軍隊における初年兵と古年兵のように)、こういう暴力構造があっても見逃す風潮もすくなくなかったのではないでしょうか。

変わる世界、どうする日本?

 しかし、日本は変わらなくても世界は変わりました。平和・人権は人類の普遍的な価値になりました。これを主張することが「あたりまえ」になってきたのです。

 日本女子柔道のナショナルチームが、暴力的な監督の言動を告発したのは、古い体質を持ちつづける日本と、世界の大勢との矛盾が、もはやおおいがたくなったことのあらわれだと思います。世界のスポーツ界の環境を知っている彼女らが、世界の普通のルールが、この日本で通用していないことに、声をあげたのは当然のことですね。

 一方、こういう当然の主張を「あざ笑う」かのような動きがあるのもビックリです。  桜宮高校の体罰問題で大揺れの大阪市で、つい先日、体罰肯定団体「体罰の会」(こんな団体があることを私はうかつにも知りませんでした)が緊急に集会を開き、体罰をふるって傷害致死罪で有罪判決を受け服役したこともある戸塚ヨットスクールの校長が講演、体罰は「教育上の必要不可欠な正当行為だ」、それを確立し「国民の愛国心を醸成させて教育正常化を実現する」と言ったそうです。その集会では、東京都議会に、大日本帝国憲法の復活を求める請願を提出した「国体護持塾」の塾長も「体罰の会」の副会長として講演しています。(『しんぶん赤旗』2013年2月7日、「近畿」のページ)

 「憲法改正」、「大日本帝国憲法の復活」の声は、総選挙をへて無視できません。彼らがめざす日本がどんな国なのか。-いろいろ考えさせられる話ですね。

 「軍人勅諭」の時代を知らない人たちが大部分を占めるいまの日本です。それがどんな時代だったのか、私たち1人ひとりが、自主的によく勉強しなければなりません。そして「憲法改正」の主張が、どんな毒を含んでいるのか、1人ひとりがしっかりと見定めることがきわめて大切ではないでしょうか。

 「体罰の問題」は「日本の歴史問題」でもあると私は思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか。 (奈良女子大学名誉教授 日本近代史専攻)〈『奈良民報』2013年3月3日号から転載〉

中塚明:体罰問題を日本近代の歴史から考える” への1件のコメント

  1. 「体罰問題を日本近代史の歴史から考える」提言は、大変大事な視点で、深く心に響きました。感謝します。近現代史をきちんと教えることがなくなっていると聞いて久しいです。私は昭和17年生まれですから、ほんの短い期間ではありましたが「民主主義とは何か」「人権とは何か」を学び育ちましたので、野間宏『真空地帯』の提起には、強く共感を覚えました。「勝ち組」社会をつくってしまった背景とも結びついているように思えてなりません。つい先日安倍首相が、4月28日を「主権回復」式典にすると決めたことにも強い危機感を感じています。

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