圏央道建設から高尾山の自然を守る運動は、大規模公共事業という国のビッグプロジェクトとの闘いになりました。全国どこでも道路建設問題があることがわかり、裁判をふくめさまざまな闘いをやってきました。「高尾山から地球がみえる」と先輩たちがいっていましたが、高尾山の運動から社会の矛盾がよくわかります。結局、日本の国のありようを変えていかないとこの問題は解決しない、それには、さまざまな人たちとの連帯・共同が必要になってきます。
70年代から80年代にかけて自民党政権は道路や橋などをむちゃくちゃつくってきました。その結果、国の計算でも社会資本の維持、管理、更新に50年で200兆円かかるとしています。日本の山や川や海や空が、「公共事業」の名のもとに壊され汚されてきました。それなのにまた、安倍・自公政権はアベノミクスと称して今年度100兆円もの財政出動をし、公共事業も昨年度より15・6%増の大盤振る舞いです。国土強靱化として防災・減災を口実にしていますが、本質は何も変わっていません。
3年ほど前から、道路やダム、湿地埋立、スーパー堤防、リニア中央新幹線などの公共事業や自然保護に取り組む複数の住民運動や市民運動を1つにして活動する必要性を感じて共同の運動をしてきました。そして今年1月、多くの団体や個人を結集した公共事業改革市民会議を立ち上げました。税金の使い方や公共事業の問題点などを国民に情報発信したり、政策提言につなげたいという考えです。経済学者やジャーナリストや法律家を招いて、連続的に市民講座をやっています。
公害被害者運動にも取り組んでいます。60年代、70年代は「水俣病」や「イタイイタイ病」などの4大公害をはじめ日本は公害列島といわれる状況でした。環境省をはじめ関係省庁や経団連、電事連、東電とか水俣病のチッソ本社とも交渉し、裁判闘争もしてきました。政府を追い詰める闘いをやろうと、公害被害者団体と網の目のように共同、協力の関係をつくってきた全国公害被害者総行動実行委員会をはじめてから今年で38年目になります。
私は福島原発事故後よく福島を訪問しています。津波や地震による被害は大変なものですが、原発事故による被害はまったく異質です。住民は住んでいた土地を追われ、現地は草ぼうぼう。事故当時のまま時間が止まってしまったかのようです。原発事故は、最大最悪の公害とみることができると思います。
全国公害総行動実行委員会として、東京電力福島第1原発事故被害の賠償問題にも被害者とともにとりくんできました。完全賠償を求めて東電、政府とも交渉しました。しかしながら、政府や東電側は具体的な回答をしません。もっと国民の包囲を強めなければなりません。
注目すべきことですが、水俣病の被害者が裁判などに立ち上がるには、10年、20年の歳月を要しましたが、原発事故被害者はすぐさま東電を相手に闘い始めました。テンポも質も違う。過去の国民的規模の公害反対運動の経験が反映されていると思います。
いま市民が取り組んでいるさまざまな運動は、国会や政府・行政を動かす必要に迫られています。いきつくところは日本社会と政治変革の問題です。どういう社会の在り方が望ましいのか、弱肉強食のアメリカ型社会ではない。原発に依存しない社会、自然環境を壊さない、健康を損なわない、被害を起こさせない持続可能な社会をめざしたい。
昨年の都知事選は久しぶりに、共同することが変革につながる可能性を感じさせる選挙だったと思います。市民と法律家・専門家、労組、そして政党・政治家、国民の大きな連帯と共同が必要になっていると感じています。 (高尾山の自然をまもる市民の会事務局長、公共事業改革市民会議代表)
ご無沙汰です。北小倉の産廃反対運動に加わっている和田です。先日(7月7日)三郷公民館でゴミ弁連の全国大会が開かれました。裁判でお世話になっている梶山正三弁護士の発案で三郷開催が実現しました。現在行政と民事で計5つの裁判を抱え皆ヒーヒー言いながら頑張っています。時にはメールをいただけたらと思います。
和田さま
中村自然農園の中村さんからゴミ弁連の集会があったことを聞いています。盛況な集会だったようですね。
8月になったら、安曇野に出かけるつもりです。
酷暑の折、ご自愛下さい。