【特集:いま、思うこと】

池田香代子:情報のほんとうの民主化の時代がきた

 60年代のアメリカで、ソニーのトランジスタラジオが若者の個室や車に持ち込まれたために、若者向けの音楽市場が成立した。その結果、ロックンロール音楽が花開いた。映画「アメリカン・グラフィティ」の世界だ。それまで音楽は、リビングに鎮座する高価なオーディオ装置から、家族みんなで聴くものだった。なにを聴くかには、当然、親の裁量がものを言った。

 最近では、ITが音楽の録音に革命をもたらした。それまでは、プロ仕様なら数億円もしたミキシングコンソールが、その数百分の一の価格のコンピュータソフトにとって代わられたために、安価に利用できるちいさな貸しレコーディングスタジオが町のあちこちに出現し、メジャーな音楽産業に属さない若者たちも、音楽を発信できるようになった。おかげで、多種多様な音楽がつぎつぎと生み出されている。

 お金もなければ力もない者たちが、技術革新によって文化の担い手として躍り出る。情報の民主化を、技術革新が後押しする……とわたしが書き、今あなたが読んでいるこのインターネットのサイトも、昔ながらの紙媒体を考えたら、情報の発信と受信を笑ってしまうほど簡単にした。いまやネットはミニメディア、ミディメディアの花盛りだ。

 とはいえ、新聞テレビなど、マスメディアの力は圧倒的だ。マスメディアの危険は、そのリダクタント・プロパガンダにある。リダクタント、つまり脱力プロパガンダとは、何かを伝えない、ということだ。多様な出来事や多様な意見を、ある意図をもって刈り込んでしまう。ここでは、何が伝えられていないのか、分らないのがくせ者だ。あからさまなプロパガンダよりたちが悪い。

 しかし、ネットのカウンターメディアが生長するにしたがって、マスメディアだけを信じていたらまずいことになりそうだ、という認識が広まり、その認識の広まりがますますネットメディアを勢いづかせている。ちいさな雪玉はすでに坂道を転げ落ちており、今後どこまで巨大になるか、見当もつかないのだ。

 もちろん、ネットに流れる情報は玉石混淆で、ほとんどは第三者による検証や編集をへていない。けれど、健全な淘汰もまた起きている。あるいは、起きていると信じたい。なにより、ネットメディアはマスメディアへの批判を初発の力としているのだ。目覚めたメディアリテラシーがさらに鍛えられる道場の観を呈しているのが、ネットメディアであるはずだ。

 やむにやまれぬ思いから発信を志すネットメディアの大部分には、スポンサーがついていない。そこが、マスメディアとは大きく違うところだ。また、伝統あるマスメディアが統治機構の発想を忖度することに長けてしまったために、意識してかしないでか、情報にかけてしまうバイヤスとも無縁だ。

 文字によるネットメディアだけでなく、映像メディア、つまりネットテレビ局も増えてきた。これまで、テレビ局をつくるとなると、資本を募り、政府から電波割当を受け、巨大な組織をつくり、大規模な設備を用意しなければならなかった。それがネットテレビ局なら、数人がポケットマネーを持ち寄れば、いとも簡単に開局できてしまうのだ。しかも、行政の許認可も不要だ。そして、インターネットで配信する以上、生まれた時からワールドワイドな存在だ。

 わたしもこの4月、インターネットテレビ局の旗揚げに参加した。某ケーブルテレビ局の看板番組を継続するためだ。その番組は、局が買収されたのをきっかけに、打ち切られてしまった。歯に衣着せぬ社会政治批判が嫌われたのかもしれない。ポケットマネーを出し合ったのは、その番組のコメンテーターたち。憲法、TPP、沖縄、原発に力を入れていく。

 ネットは、情報発信の民主化の力になりうる。それで「デモクラTV」と名付けた。末永く育てていきたい。賛同できるとお考えの方がたは、サイトをのぞいてみてほしい(ttp://dmcr.tv/declaration.html)。そして、わたしたちの仲間になっていただきたい。 (翻訳家)

池田香代子:情報のほんとうの民主化の時代がきた” への1件のコメント

  1. 60年代のカウンター・カルチャーの裏には、そんな技術革新があったんですね。若者たちのうねりが世界の「68年革命」につながったように、いまのインターネットが、リアル世界の動きと相まって、21世紀の社会変革をつくりだしてほしいと思います。

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