4月20日、京都市でおこなわれた「革新は生き残れるか―新しい変革の主体を考える」というシンポジウムに参加してきた。現状を憂い、日本社会の変革をめざす人々の思いがあふれる集いだった。概要を報告したい。
3人のパネリストが問題提起した。
広原盛明・元京都府立大学学長--7月参院選後、改憲勢力が3分の2を占めることが予想される戦後最悪の情勢だ。これといかに対峙するか、革新勢力は隊列を組みなおし、これまでの作戦を変えないといけない。
藤永のぶよ・おおさか市民ネットワーク代表--たたかう市民運動は変革の主体になれるのか。2009年の総選挙をみても変革の主体は形成されているが、若い人、主体の心を揺する運動が革新の側にできているのか。政党は国民のためにあるのだから、愛される存在でなければ。
大西広・慶應義塾大学教授--「国民戦線」の枠組みが必要だ。憲法は全国民をカバーするが「経済ではなく平和」という迫り方では勝てない。脱原発の1点だけでよいか。「国民戦線」のスローガンとして「公平・公正」あるいは「国民の利益」はどうか。
参加者からの発言が相次いだ。
「憲法改悪を阻止するためにあらゆる政党、勢力は協力しないといけない」
「革新という言葉自体すでに死語になっている」 「革新、護憲ときくだけで3.11以前の昔のイメージになる」
「変革の主体は若者だ」 「どういう社会を求めるか、若者に安心してバトンタッチできる世の中を」 「若者は護憲運動に参加してきていないがどうする」
「参加型民主主義の意思決定のあり方は魅力的だ」等々。
最後に、「黒田革新府政、蜷川革新府政のためにがんばってきて、革新という言葉に非常に愛着がある」という80歳の男性が発言した。少し長くなるが紹介したい。
「一番大事なのは(革新の)内容で、つねにリフレッシュしていかなければいけない。革新諸政党が自分たちが主張してきたことにこだわりすぎていろんな新しい提案などに拒否反応を示すのは非常に残念だ」
「今日ここに出席したのは、3月31日付のしんぶん赤旗で、神戸の討論集会(「とめよう壊憲! 護憲結集! 討論集会」)に共産党中央委員会として参加しないと返事をした、という報道を見てびっくり仰天した。懐が狭い」。
「革新政党のなかの革新政党が度量の狭い独善的態度を改めることが現在非常に大事だと思う。批判をいちいち自分たちへの攻撃だととらえるのでなく、ありがたい忠告だと懐深く受け取ってもらいたい」
「宝塚(市長選)よかったね」「あれが終わりの始まりや、維新の」 。会場では、参加者のこんなあいさつが交わされていた。
コーディネーターの碓井敏正・京都橘大学名誉教授がいった、「革新」の側がこれまでのやり方を変えないと、革新、憲法、日本が危うくなるという問題意識は、参加者のだれもが共有していたように思う。国民からみて魅力的な受け皿となる政治勢力が必要だ--。
おそらくここでの議論は、日本の変革を望む全国の人々の潜在的な思いとも相通じるものではないだろうか。将来展望は、こんな議論からみえてくるようになると思う。