【連帯・社会像】

進藤榮一:「天皇メッセージ」から「主権回復の日」を考える いまにつづく”捨石”としての沖縄

 安倍政権は4月28日に「主権回復の日」式典をおこなうという。1952年の同日、サンフランシスコ条約が発効して「独立」したからとされる。しかしこの日は、米軍による異民族支配が始まった「屈辱の日」として沖縄は怒りを爆発させている。かつて、昭和天皇がアメリカに沖縄を売り渡すことによって、戦後日本が形作られてきたことを鋭く暴く論文「分割された領土-沖縄、千島、そして安保」(『世界』1979年9月、岩波現代文庫『分割された領土 もうひとつの戦後史』所収)を発表した進藤榮一・筑波大学名誉教授にききました。(文責:星英雄)

 「主権回復の日」とはよくぞいえるものです。私なら、「主権回復をめざして国民が立ち上がる日」としたい。

  私がアメリカで発見した天皇メッセージは、昭和天皇が自らすすんで沖縄をアメリカに差し出すという衝撃的な内容でした。天皇は宮内庁御用掛の寺崎英成を介してアメリカにメッセージを伝えたのですが、寺崎は「沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるため」として占領軍総司令部政治顧問のシーボルトを訪ねました。1947年9月のことです。

  シーボルトが残した外交記録にこうあります。 「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。天皇の意見によるとその占領は、アメリカの利益になるし、日本を守ることにもなる」

 さらにこう書かれています。 「天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(と要請があり次第他の諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の--25年から50年ないしそれ以上の--貸与(リース)をするという擬制(フィクション)の上になされるべきである。天皇によればこの占領方式は、アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させることになるだろう・・・」

  シーボルトは驚き喜んですぐ連合国軍最高司令官マッカーサーやマーシャル国務長官に伝えたのです。こうして、「天皇メッセージ」は、アメリカの対日対世界政策の見直しにつながっていきました。

  日本の主権から沖縄を切り離し、アメリカの軍事占領にまかせるという、後のサンフランシスコ条約・日米安保条約を柱とする戦後日本の原像がここにあったといえるでしょう。

 論文発表当時、きわめて大きな反響がありました。一部には、天皇がそんなメッセージを出すはずがないとか、天皇の意図は潜在的主権を確保することにあった、という見方もありました。しかし、アメリカに占領してもらいたいという天皇の意思でメッセージが発出されたことは、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政の日記でも裏づけられましたし、いまでは歴史事実として定着しています。

  サンフランシスコ条約の本質は片面講和だったことです。日本が侵略した相手国の中国、韓国、北朝鮮は講和会議に招かれず、インドやビルマは参加していません。ソ連は招かれたが調印しませんでした。 サンフランシスコ条約は第3条で沖縄を米軍支配下におくことにしました。つまり、半分だけの独立、主権の半分を回復したことでしかないのです。

 サンフランシスコ条約はそれが単体としてではなく、日米安保条約とセットであったことも強調したい。安保条約は米陸軍司令部の1室で、吉田茂首相1人だけが署名したことにも明らかなように、屈辱的なものでした。安保条約は、アメリカが望めば日本のどこにでも基地を置くことができ、日本国内の問題に米軍が出動できるという、内乱条項までありました。「主権回復」ではなく、従属の始まりといったほうが適切だと思います。

 2月の日米首脳会談で安倍首相は米軍の普天間基地を辺野古に移設しますと、オバマ大統領に約束してきました。沖縄には在日米軍施設の74%が集中しています。1972年に沖縄が日本に復帰しても、米軍と米軍基地の実態はほとんど変わりません。これが「天皇メッセージ」にはじまった沖縄の過酷な現実です。安倍首相の対米約束をみてもわかるように、沖縄をアメリカに差し出すことが、かつてもいまも日米軍事同盟の「結節点」になっているわけです。

  核ミサイル・トライデントに反対するスコットランドは来年秋、英国からの独立を問う国民投票をおこないます。ポスト・グローバル化のなかで、沖縄は独自の道を歩くときがきているのではないかと思います。

 それにしても日本はなぜアメリカに付き従うのでしょうか。広島、長崎に原爆を投下され、沖縄を分割・支配され、そしていまTPPでもアメリカです。大企業と自民党はアメリカに食わせてもらっているという認識でしょうが、アメリカについていけば成功するというのは神話です。

  21世紀は間違いなくアジアの世紀です。アジアには助け合いの精神が息づいています。今日すでに天皇メッセージから65年半、サンフランシスコ条約から61年の時が過ぎています。いつまでも米軍基地を許す日米軍事同盟の時代ではない。ASEAN諸国、中国、韓国と平和の共同体、アジアの共同体を推進する時が来ていると思います。

進藤榮一:「天皇メッセージ」から「主権回復の日」を考える いまにつづく”捨石”としての沖縄” への2件のコメント

  1. 「天皇メッセージ」と安保がセットだった。沖縄からみると許せる内容でないことがよくわかりました。安倍首相の本質は天皇制を賛美するアナクロニズムなんですね。 

  2. 力づくで沖縄に押し入り、あげくに「土人」発言。さんざん日本の伝統なぞと騒ぐくせに、沖縄の伝統は見て見ぬふり。天皇、安倍、自民党、全て腐敗でつながっているのが、これではっきりした。日本人舐めるな。

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