【連帯・社会像】

星英雄:沖縄県民の屈辱も痛みも日本国民の屈辱・痛みではないのか

 4月28日は、安倍晋三政権の「主権回復」式典に反対・抗議する集会が全国あちこちで開かれたようだ。東京では少なくとも6つの集会があったという。

 その1つ、〈沖縄を切り捨て対米従属を固定化した4・28は「主権回復の日」か!?その偽りを告発する〉集会では、山田朗・明治大学教授が「主権回復の日」の虚構性を訴えた。主権回復の根拠とされているサンフランシスコ講和条約によって、沖縄・奄美・小笠原では米軍による、千島ではソ連軍による軍事占領が継続された。

 同時に発効した日米安保条約で、米占領軍は在日米軍として居座り、日米行政協定で占領軍の特権は維持されたなど、事実上、占領の継続を容認した日といえる。尖閣諸島、千島列島など領土問題の発端もサンフランシスコ条約が作り出し、いまそのことで、排外主義に流されてはいけないと訴えた。

  日本ジャーナリスト会議の丸山重威氏は、サンフランシスコ条約の調印、発効当日の朝日新聞には沖縄のことは一言もなかった、そして今日も、基地・沖縄の問題は沖縄だけの問題、原発は福島の問題として済ませていいのかと、マスコミ報道のあり方を批判した。

  4・28は「屈辱の日」だと怒る沖縄では、本土による構造的差別の解消をつよく求めている。普天間米軍基地の辺野古移設に県民の90%、41全市町村長と各議会の議長が反対。オール沖縄が反対しているにもかかわらず、安倍政権は辺野古移設を強行しようとしている。それは差別以外のなにものでもないと。

  集会で、米倉外昭・新聞労連副委員長(琉球新報記者)が重い問いかけをした。米倉氏は生まれは本州。沖縄に住んで26年目。「沖縄に住んでいる日本人として自分は何ものなのだろうか。沖縄にとって自分はなにものかということをずっと考えてきた」と話し始めた。

  そして、個人的な意見として一つの問題提起をしたいとこういった。「自分は沖縄に対して差別する側、加害者、植民者、であるという認識にいたっている。日本人と沖縄人、日本と沖縄を分けて考えることに異論、違和感を持つ方がたくさんいらっしゃるのも確かだ。

ただ、民主主義の制度として考えた場合、歴史的な経過も含めてある地域に特定の被害、負担が集中していて、その地域ではやめてくれという圧倒的な民意が示されているのに、全体としては少数であるがゆえに、ふみにじられているのが今の状況だ」

 「こうした状況が構造的差別だ。結果としてそれが変えられていないという意味において、ヤマトンチューとして変えられていない責任を逃れられないと考えている。自分が日本人であるというアイデンティティーをもっているなら、沖縄にとって自分は加害者、植民者ではないか、ということを考えてみてほしい」

 この問いにこたえることは容易ではないかもしれない。しかし、正面から受け止めなくてはならないと思う。

 

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