ことしの憲法記念日は、安倍晋三首相が7月参院選で憲法96条改定を争点にすることを打ち出し、他方で96条改憲に反対する「護憲勢力」という、憲法・国政をめぐる対立構図をきわめて鮮明にした。
なぜ96条改憲か。安倍政権を中枢で支える自民党関係者は言う。「千載一遇のチャンスだ。今を措いて他はない」
「千載一遇のチャンス」とは、こういうことだ。自民党は保守合同により、1955年に結党された。「自主憲法制定」が柱の1つだ。自民党結党後、最初の総選挙は1958年5月。安倍首相の祖父・岸信介政権が挑んだが、結果は社会党が3分の1を上回る議席を獲得、改憲発議は遠のいた。それ以降、第1次安倍政権をふくめどの政権も、改憲発議には遠く及ばなかった。
そもそもいまの安倍政権の成立自体、僥倖の産物である。昨年9月の自民党総裁選は地方票を固めた石破茂幹事長に大差をつけられ2位。国会議員の決選投票で逆転勝利した。昨年12月の総選挙は、民主党政権の失政により望外の大勝をおさめた。
安倍政権のあとはだれが政権を担うのか。同じ自民党政権であっても、安倍政権のように改憲を最大の目標にするとは限らない。改憲勢力が3分の2を占めるかはなおのこと、定かではない。前にも後にもなく、今しかない。まさに「千載一遇のチャンス」というわけだ。
改憲勢力と一括りにできても、改憲内容ですべてが一致しているわけではない。自民党は昨年公表した「日本国憲法改正草案」に、天皇を「元首」とし、現行憲法9条2項をなくし、「自衛権の発動」と「国防軍」の創設を盛り込んだ。
維新の会は9条改定の前にまず「道州制導入」と主張、地方自治関連条項を変える方針。みんなの党は「統治機構の改憲」が優先、「復古調の改憲論とは一線を画したい」ともいう。
「安倍総理は、改憲という点では同じでも、改憲の中身に違いがある。だけど、96条を変えて、憲法を変えられる仕組みをつくることだけはみんなで合意したいという思いでいる」。 実際、自民、維新、みんなの各党は96条改憲では足並みをそろえた。「千載一遇のチャンス」をものにする安倍首相の多数派形成戦略、それが96条改憲なのだ。
憲法96条は、憲法改正の手続きを定めている。発議の条件は「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」だが、これを過半数に引き下げるというのが96条改憲だ。改憲のハードルを下げ何を変えるのかについては語ろうとはしない。憲法は国民が権力者を縛る最高法規だ。96条改憲はその原則、立憲主義を否定するものにほかならない。
自民党結党から60年近い年月をかけてもなお改憲を実現できなかったことからすれば、96条改憲はまさに窮余の一策に違いない。だが、安倍首相の執念のあらわれでもある。
「96条改正実現のためなら、妥協も譲歩もある。そして、最後は国民運動が決める、というのが安倍総理の考えだ」と前出自民党関係者はいう。草の根保守の運動は侮れない。参院選で改憲勢力が3分の2議席を占める可能性も否定できない。
改憲反対を主張する諸勢力はこうした安倍戦略にどう対抗するのか。護憲勢力に、国民多数派形成の戦略はあるのか。そのことが問われている。
護憲勢力多数派形成の戦略はあるのか? まさにそこが問題です。市民レベルの5・3集会(川崎市多摩区「憲法祭り」)には前夜祭に地元のお寺さんの住職が「公式」参加、閣僚の靖国神社参拝を、かつて「英霊の国体護持に心痛めておられたご遺族のみなさんの心情からの歯止めがきかなくなったのだろうかと」宗教者らしい批判の言。翌集会には、初めてストリートミュージシャン(20代の青年ピアニスト)が参加・演奏し「ぼくは自作の癒しの曲を通じて9条を守りたい」と発言しました。国民の間では明らかに9条を守る輪が広がっているのに、政党政治レベルでは、国民世論を土台にした護憲連合の総結集への動きもリーダーシップもみられないのがなんとももどかしい。まずは私たち一人ひとりがその声をあげていこうじゃありませんか。今が好機だと思うのですが、どうでしょうか。