【特集:いま、思うこと】

星英雄:あらがい闘う普通の人々が社会を変える

*歴史的な時代

 「いろいろな活動でいまの世情にあらがう人たちがいるのは歴史的にも記憶されるべきことだと思います」

 ある歴史学者からこんなメールをいただきました。

 認可保育所に入所を希望したのに認められなかったため、異議申し立てをする母親たちがいます。貧困・格差社会の改革に立ち上がった青年たち、環境破壊の開発に反対し公共工事のあり方を問う人々、NPO活動に携わる多くの人たち、等々。そして、全国津々浦々の脱原発、原発ゼロを目指す運動も。あらがい闘う人々の広がりはたしかに歴史的です。

 デモが行事として消化されるような時代の後に、デモが政治に大きな影響を与える手段として再浮上してきたことも、あらがい闘う普通の人々の存在なしにはありえないと思います。

 ウェブサイト「連帯・共同21」(http://rentai21.com)は昨年10月に、仲間6人で立ち上げたばかりです。「どのような連帯・共同が新しい日本社会を可能にするのか」、そんな思いからです。

 「草の根」からの変革の胎動は、「70年安保闘争」を経験したぼくの目には、あのころよりもさらに広く深い。しかし、その「力」ほどには社会を動かすに至っていないのはなぜでしょうか。

 憲法、原発、貧困・格差、TPP、沖縄、日米同盟。国民が直面する課題はどれ一つとっても一党派が背負えるほど軽くはない。なのに、政治勢力がバラバラなのはどういうことでしょうか。

 これまで政治の世界を取材してきて「左翼陣営」の溝の深さを思わざるをえません。もっとも、いまは「左翼」の枠を超えて、新しい、さまざまな市民運動と政治の連帯のあり方、そして政党間の連帯の方法を考えなければならないのだと思います。

 「連帯・共同21」は、情報発信と意見交流を通して、日本社会のあり方を模索し、日本の変革をのぞむ人々の連帯・共同の輪を広げることをめざしています。

*広く連帯したい

 ことし、福島と沖縄を駆け足で取材しました。福島には政府と東京電力にあらがう確かな存在があります。原発事故の風化と被害者が置き去りにされるような孤立感を覚えながら。

 沖縄では厳しい本土批判に遭遇しました。沖縄にだけ米軍基地を押し付けるのは差別ではないか、と。ただし、沖縄の人たちが本土を敵視しているわけではありません。強大なアメリカ・日本の政府と闘うために、本土の人々との連帯をこそ欲しているのです。悲惨な沖縄戦を生き延びてきた80歳を超えるおばあに、「力を貸してください」といわれたことは忘れられない。

 沖縄の人々が抱える問題も福島の人々が抱える問題も、つまりはわれわれ一人ひとり、日本の問題なのですから。

  沖縄取材が縁で、伊江島や那覇の人たちからわがサイトに通信が送られてきました。連帯が広がることほどうれしいことはありません。これから『損保のなかま』の読者の皆さんと交流、連帯できることを願っています。

(『損保のなかま』紙5月1日号から転載しました。同紙は、解雇反対闘争をきっかけに1976年発行。以来、組合の機関紙としてではなく、損保会社の現役、OB・OGなど仲間の新聞として愛読されています)

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