【特集:いま、思うこと】

藤原一也:近頃の日本について思うこと

 私は生活協同組合運動や消費者運動の場で38年間働きました。そして2012年年3月末に退職し、フリーの立場で1年間の海外生活を南アフリカ共和国のケープタウンで過ごしました。語学学校に通いながら、「藤原一也の南アフリカレポート」と題したブログに日々の雑感を書き記してきました。外国暮らしの印象を一言で表現すると高齢者の海外の生活は「暮らしの安心・安全」の確保にとても気を使うものだと言うことです。

 アフリカ大陸諸国の中では比較的に経済力が進展して、国の統治もしっかりしていると思われる南アフリカ共和国でさえ、1人でぶらりと訪ねるなどは絶対にしてはならない場所や地域が数多くあるのです。日本人が現実に暴力的な様々な出来事に巻き込まれた事実を何例も知りました。幸いにも私はケープタウンでの1年間で何らかの事件に巻き込まれたことはなく、結果的に楽しい思い出深い外国暮らしの経験となりました。

 こうして私は2013年の3月末に帰国して、フリーな立場での日本での生活を過ごしています。今、実感しているのは少なくとも「暮らしの安全・安心」の視点から見る限り、日本での生活環境が相対的に素晴らしいのではないかということです。

 日本国内であれば、どんな場所や地域へもさほどの緊張感を持たなくても訪問することが出来ます。いわば広い意味の「暮らしの安心・安全」の保障が一定のレベルにあるということだと思います。

 このことは世界の中の日本を考える際にとても大切なことと思います。最近の日本で発生する、信じられないような事件の1つ1つには着目しなければなりませんが、私の考えでは日本における「暮らしの安心・安全」は第2次世界大戦後に私たちが日本国憲法を柱にして築きあげてきた大切な「当たり前」ではないかと思います。

 さて、私がケープタウンの語学学校で出会った南ア、アンゴラ、モザンビーク、ブラジル、サウジアラビア、トルコなどの若者は私の顔を見るなりチャイニーズかと聞いてきました。彼らにとってアジア諸国で知っている国名が中国であり、日本と中国は何が違うのかほとんど判っていないゆえの発言かと思います。日常会話の中で彼らが反応する日本を連想させる単語としてはTokyo,FukushimaそしてToyota,Hondaなどでした。中国と日本の違いが判らない人に東京と福島の違いを説明するのは私にはとても大変なことでした。

 そして彼らの中には車を持っている金持ちの若者もいて、世界地図や政治体制の話よりも実際に使用している日本車の技術力に関心を寄せていました。私は日本製品の技術力を通じて日本への関心を呼び起こし、最終的に日本文化のあれこれを理解していただくことも国と国との摩擦を少なくする近道の1つと考えていますが、最近の原子力発電所の技術輸出については大きな疑問があります。

  日本国民にあれほどの手酷い被害をもたらし、いまだに福島県の故郷に帰れない人々がいるなかで原子力発電所を海外につくるための政治家による国をあげてのトップセールスが行われることは間違っています。私たちが現時点で誇りを持って諸外国に提供すべき製品や技術とは何なのか? 良く考える必要があると思います。

 ところで、最近、日本国憲法9条を変えて日本を再び諸外国との戦争を行える国家にしたいと考える勢力の発言が目立っています。アジアの近隣諸国や欧米諸国に警戒心を抱かせています。私は日本の外交政策は武力や威嚇で行うのではなく、何事も粘り強い話し合いを基本にすべきと考えます。

 私は外国の若者に日本には「軍隊はない、徴兵もない」と語った時にそれは本当かと何度も良い意味合いで問い返された経験があります。そんなことから、日本国憲法について諸外国の若者に知ってもらうことは日本の理解につながるのではないかと考えています。

 私は日本国憲法を柱にして、築き上げた日本の「暮らしの安心・安全」の当り前を絶対に崩されてはならないと思います。今こそ、日本の政治家は日本国憲法に立ち返って政策を立案し、実行してほしいものです。

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