憲法学者や政治学者らが憲法96条改正に反対する「96条の会」を発足させた。5月23日、国会内の記者会見で、山口二郎北大教授はこういった。「護憲、改憲の立場を超えて、立憲主義、立憲政治を守るという危機感を共有している」。
安倍・自民党政権は改憲の発議要件を3分の2から過半数に緩和するため、憲法96条改正をねらっている。国会での改憲発議を容易にして、その後の9条改悪などに結び付けようというものだ。
世界の近代憲法は、国民が権力を統制する手段として制定された。憲法が国家権力にしばりをかけて、個人の人権を保障する。日本国憲法もそうだ。だから、96条の会の呼びかけ文はこう訴える。「96条を守れるかどうかは、単なる手続きについての技術的な問題ではなく、権力を制限する憲法という、立憲主義そのものにかかわる重大な問題です」
安倍首相らは改憲発議条件の緩和について、「憲法を国民の手に取り戻す」などといっている。三百代言もはなはだしい。
96条の会代表の樋口陽一・東北大学名誉教授はこう反論した。日本国憲法は国民の決定を信頼する思想だが、「国民が信頼にふさわしい決断ができるように(3分の2という)材料を集めて提供するのが国会議員の責務だ。それを放棄して国民に丸投げするのはおかしい」。そもそも「憲法改正権(96条)をつかってその条文(96条)を変えるのは、法論理的に無理な話だ」と。
マスコミ報道の一部には、安倍首相らは96条改憲をトーンダウンさせたという見方もある。だが、自民党は参院選の選挙公約に「憲法改正の発議要件を衆参それぞれの過半数に緩和」することを盛り込む。
安倍首相は、第1次安倍政権では急ぎすぎて失敗した。そしてこの時期を逃せば、国会で改憲派が3分の2を占めることの困難さは十分認識している。安倍氏の心中を推し量ればこういうことだろう。「慎重に、かつ不退転の決意で」
国民のなかでどちらが多数派を形成できるか。まさに「改憲派も護憲派も」96条改憲反対の幅広い連帯が必要だ。おそらくは、国民投票までを視野に入れた長期戦になるに違いない。
「96条の会」呼びかけ文
憲法改正手続きを定めた憲法96条の改正がこの夏の参議院選挙の争点に据えられようとしています。これまでは両院で総議員のそれぞれ3分の2の多数がなければ憲法改正を発議できなかったのに対し、これを過半数で足りるようにしようというのです。自民党を中心としたこうした動きが、「国民の厳粛な信託」による国政を「人類普遍の原理」として掲げる前文、平和主義を定めた9条、そして個人の尊重を定めて人権の根拠を示した13条など、憲法の基本原理にかかわる変更を容易にしようと進められていることは明らかです。
その中でもとりわけ、96条を守れるかどうかは、単なる手続きについての技術的な問題ではなく、権力を制限する憲法という、立憲主義そのものにかかわる重大な問題です。安倍首相らは、改憲の要件をゆるめることで頻繁に国民投票にかけられるようになり、国民の力を強める改革なのだとも言っていますが、これはごまかしです。今までよりも少ない人数で憲法に手をつけられるようにするというのは、政治家の権力を不当に強めるだけです。そもそも違憲判決の出ている選挙で選ばれた現在の議員に、憲法改正を語る資格があるでしょうか。
96条は、「正当に選挙された国会」(前文)で3分の2の合意が形成されるまでに熟慮と討議を重ね、それでもなお残るであろう少数意見をも含めて十分な判断材料を有権者に提供する役割を、国会議員に課しています。国会がその職責を全うし、主権者である国民自身が「現在及び将来の国民」(97条)に対する責任を果すべく自らをいましめつつ慎重な決断をすることを、96条は求めているのです。その96条が設けている憲法改正権への制限を96条自身を使ってゆるめることは、憲法の存在理由そのものに挑戦することを意味しています。
私たちは、今回の96条改正論は、先の衆議院議員選挙でたまたま多数を得た勢力が暴走し、憲法の存在理由を無視して国民が持つ憲法改正権のあるべき行使を妨げようとする動きであると考え、これに反対する運動を呼びかけます。来る参議院選挙に向けて、96条改正に反対する声に加わってくださるよう、広く訴えます。