「96条の会」発足記念シンポジウムは大盛況だった。14日夜、東京・四谷の上智大学。会場にあてられた教室は参加者であふれ、急ぎ第9会場まで設営された。この種のシンポジウムでは異例ともいえる1200人が参加した。安倍晋三政権の改憲に対する危機感が人々を動かしている。憲法改悪反対の「ゆるぎない多数派」結成への一歩だと思う。
シンポジウムをかいつまんで紹介したい。
樋口陽一・96条の会代表(東大名誉教授)の講演
安倍晋三政権は参院選に向け、憲法改正のルールである96条をまず変えたいと公約に掲げ、有権者に選択を迫っている。自民党の憲法改正案は、戦後レジームからの脱却など実質上、新憲法というべき構想だ。
憲法を変えるにはハードルが高すぎるから低くしてくれというのが96条改定論だから、なにかおかしい、怪しい話だという疑念が国民の間に広がっている。河北新報社説は、「スポーツで、試合のルールを自分に有利なように変更することは許されない。例えば野球で、貧打に悩むチームが「三振」を「四振」に変えてくれと相手チームに持ち掛けても、通るはずがなかろう」と指摘した。
憲法を基準として公権力を縛ろうという原則が立憲主義。(96条改憲は)自分を縛るルールを緩めればあとはやりたいことがやれるという、立憲主義の破壊だ。
96条改憲論は立憲主義とは違う論法を押し付けようとしている。安倍首相は昨年9月、「たった3分の1を超える国会議員の反対で発議できないのはおかしい。そういう横柄な議員には退場してもらう選挙を行うべきだ」といった。3分の2以上の合意を得られるように議論を尽くすのが国会の職責。それを横柄という。
1930年代のドイツで、国民主権をかかげたワイマール憲法は、敗戦とベルサイユ条約に押し付けられた憲法だとナチスが攻撃。ナチスは国民投票を利用するなどして、類例のない独裁システムをつくりあげた。決められない政治にいらだち、決める政治を熱望したのが1930年代のドイツ。ドイツ国民はどのような歴史の責任を負うことになったのか。
引き続いてのパネルディスカッション。
山口二郎・北海道大学大学院教授
国民の手に憲法を取り戻すという安倍首相だが、日ごろ民意をないがしろにしている政治家が、突然憲法について民意を思い出すのはご都合主義だ。のべつまくなしに民意を問うというのは、民意の形成を阻止し、国民に熟慮させないことだ。安倍首相は参院選で争点にしないで、選挙後にじっくりじっくりやろうという段取り。強い警戒が必要だが、世論の力でもある。
岡野八代・同志社大学教授
96条改憲が大きく出てきたことは中身にかかわることだ。自民党の改憲草案は、立憲主義が掲げる私たち市民の権利、尊厳を守るためにこそ国家が存在しているという大前提を掘り崩すものになっている。人類やめますか、それともつづけますかという、人類の知性に対する攻撃だ。国家の負担を減らすための家族ではなく、多様な生き方を支える仕組みを考える時代に入っている。
小森陽一・東京大学大学院教授(9条の会事務局長)
2004年4月の読売新聞世論調査は、憲法を変えたほうがいい60数%、変えないほうがいい20数%。危機的状況に、同年6月、加藤周一氏らが9条の会を結成した。全国につくられた9条の会は2007年に6000になり、翌2008年の読売世論調査は15年ぶりに改憲反対が多数派になった。メディアをとられていても民意は変わる。草の根の運動で民意を変えるしかない。
長谷部恭男・東京大学大学院教授
立憲主義の前提は、世の中にはいろんな考え方、いろんな立場の人がいる。価値観、世界観の違い、対場の違いににかかわらずすべての人を個人として、平等な存在として尊重する。そういう立憲主義の大原則を埋め込んだ憲法を変えようというのであれば、幅広いコンセンサスを得られるような改憲案で発議されるべきだ。そのために特別多数決(3分の2)が要求されている。